なぜ「基本を習得すること」が大切なのか。日々なんとなく考えていたことを文章化してみようと思い立ったので書いてみました。つらつら適当に書いたので誤字脱字チェックしてません、ごめんなさい。
基本を習得することとは。私にとってこれは受験を例にとると最も理解しやすかったので、大学受験で見てみましょう。
私は大学受験のスペシャリストでもなんでもないのですが、アルバイトで受験生を教えたりすることがありました。その際、生徒たちは「どのくらい勉強したら○○に受かりますか?」としばしば質問してきます。私は「そんなのはわからないけどね、基本的なことをしっかりと身につけたら東大だってどこだって受かるよ」と言います。生徒たちは「そんなわけないじゃん笑」となるわけですが、これ「基本を習得すること」を根本的に間違って理解しているためと思われます。
「基本を習得する」ということは「簡単なことを暗記する」ことではありません。基本は簡単なことではなく本質につながる重要な事柄であり、習得するということは血肉にすることです。血肉にするとは、受験で言えばとどのつまり「呼吸をするようにその知識を運用できる」ということになります。
より具体的に受験に即して考えてみましょう。基本とは英単語であり、英文法であり、漢字であり、因数分解であり、つまりは「高校までに習うとされていること全て」です。習得するとは、これらの知識を「なんとなく暗記して覚えている」のではなく、「えーっと、あれは。。。」なんて考える間もなく「使いこなせる」ことです。
受験において、この「基本を習得すること」が最も難しいと言っていいでしょう。現実としてほとんどの生徒は「基本を習得する」ことができていません。東大に受かる学生でさえ100%ではありませんが、彼らはそれをかなりの度合いでものにしています。基本をだいたい習得することができれば、あとはそれを組み合わせて運用する練習を繰り返せばいわゆる難関大学の出す試験問題に解答することができます。これはそこまでしんどい作業ではありません。もう一度言いますが「基本を習得すること」が最も難しいのです。
ここまで受験を例にしてきましたが、他のだいたいのことにこれは当てはまるのではないでしょうか。野球であれば打って、捕って、投げて、走ること。ピアノであれば、楽譜をよむこと、正確に音を出すこと(音楽詳しくないので違ったらごめんなさい)、プログラマーであれば、プログラム言語を「習得すること」。要は「職人になる」ということだと私は思っています。頑張って習得して感覚で、つまり呼吸をするようにそれを行えるようになること、これこそが「基本を習得すること」ではないでしょうか。当然、野球でもピアノでもプログラミングでも、そうした作業の先には「才能」がものをいう段階が来るのでしょうが、あるところまでは着実に基本を習得すれば確実にいけるはずです。
受験に戻れば、これには絶え間ない努力が必要になります。努力の尺度は「何時間やったか」ではなく「習得できたかどうか」です。もちろんそこに到達するために必要な時間は個人さがあるでしょうが、基本を習得した人間は間違いなく時間をかけて努力をしています(それを努力とも思わないという才能もあります)。私個人の見解としては、「勉強してるのに点数が伸びない」という生徒は、圧倒的に努力が足りていません。まずは何度も何度も暗記を繰り返し、それが血肉となり自由自在に使いこなせるまで、何度も何度も、来る日も来る日も繰り返してやっていかなければなりません。「受験勉強は世間に出て役に立たない」と言われますが、内容として役に立たなくても、方法論としては間違いなく役に立つはずです、とはいえ「勉強」という領域でその努力をすることが不得意な人間がいるのは当然です。スポーツでも、芸術でも、はたまたモノづくりでも、自身が基本を習得するために努力できる領域を見つけることが大切なのでしょう。その場合でも「基本を習得すること」が大切だということは言うまでもありません。