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ディープインパクト死す

 2019年7月30日、ディープインパクトが繋養先の社台スタリオンステーションで亡くなりました。28日に頚部の手術をおこないましたが、29日起立不能となり、30日にレントゲン検査をしたところ頸椎の骨折が判明、安楽死の処置が取られました。

 ディープインパクトは2002年3月25日生まれ、父は日本競馬を根本から変えたとまで言われるサンデーサイレンス、母はドイツでGⅠを制したウインドインハーヘア。セレクトセールで金子真人氏に7000万円というサンデーサイレンス産駒としてはそこまで高くない金額で落札されました。

 競走馬時代の成績は海外を含み14戦12勝、シンボリルドルフ以来2頭目の無敗の三冠馬となり、凱旋門賞にも挑戦しました(3着入線、のち失格)。最後方からの追い込みというスタイルでしたが、それでもロングスパートによる危なげない競馬をしました。

 種牡馬としても数多くのGⅠ馬を輩出するとともに、リーディングサイヤーをこれまでに7度獲得しています。後継種牡馬候補もたくさんいるので、そこからディープインパクトの血を受けついでいく種牡馬が生まれればいいなと思うばかりです。

 命に優劣はないわけですが、ディープインパクトという馬は日本の競馬ファンに特別な馬です。野球で言えば王・長島、プロレスで言えば馬場・猪木、相撲で言えば大鵬・千代の富士といったクラスと考えていいでしょう。私個人としては現役時代も全て見届けた馬としては、このクラスの馬が亡くなるのは初めての経験です。日本競馬界としての損失も計り知れません。またディープインパクトのような名馬が日本競馬界に颯爽と登場することを希望しつつ、ディープインパクトが安らかな眠りにつくことを願います。

【コースの特徴まとめ】阪神芝1400m

 阪神芝1400mの特徴です。データとしてはこちらを参考にしています。


出典:JRA-VANコース解説阪神芝1400m

 
 スタートは向こう正面の左奥、第2コーナーのポケット地点になります。そのため最初のコーナーまでの距離は十分にあることになりますが、一方で各馬がいい位置を確保するために出していくため先行争いは厳しくなる傾向にあります。コースとしては阪神の内回りコースを使用するため最後の直線はAコース使用時で約356m、Bコース使用時で約359mになります。
 枠順としてはやはり無理せずに先行できる内枠が比較的有利です。特に2枠の回収率が高くなっていますが、これは最内よりは2枠の方がレースがしやすいということなのでしょうか。これは突出した数字になっているので注意が必要でかもしれません。脚質も先行馬、特に逃げ馬の回収率が高くなっています。種牡馬としては数字的に突出したはいません。勝ち星としてダイワメジャー、ディープインパクト、ロードカナロアとなっていますがいずれも回収率はそれほどではありませんね。ブラックタイド、ディープブリランテあたりは率が高く出ているものの母数が少ないためなんとも言えません。

【用語解説】リステッド競走とは

 2019年1月よりJRAの一部競走が「リステッド競走」というクラスに位置付けられて実施されることになりました。すでにいくつものリステッド競走がおこなわれており、今週で言えばマーガレットステークス、すみれステークスなどはリステッド競走となります。とはいえ「急にリステッド競走とか言われてもわからんよ、、、」という競馬ファンの方も多くいると思いますので、ここで簡単にリステッド競走とは何かを説明していきたいと思います。

【JRAのクラス編成】
 JRAで実施されている平地競争は、未勝利、500万下、1000万下、1600万下、オープンというクラス分けがなされています。クラス分けのための収得賞金というものがありますが、ここでは説明が面倒なので未勝利クラスのレースを勝てば500万下に昇格、500万下クラスのレースを勝てば1000万下に昇格という風に考えてもらえればいいかと思います。もちろんオジュウチョウサンが記憶に新しいところですが、飛び級のように上のクラスに挑戦することも可能です。逆に勝ち上がったクラスのレースに出ることはできません。そしてこれまでは「降級」という制度により一度勝ち上がったことのあるクラスのレースにもう一度出ることもあったのですが、この降級制度は今年から廃止されることになっています。あわせて各クラスの名称も500万下→1勝クラス、1000万下→2勝クラス、1600万下→3勝クラスと変更になりますが、とりあえずここでは置いておきましょう。後でいつか記事にしようとは思っています。

【リステッド競走】
 それでは今回の主題である「リステッド競走」とは何なのかということですが
リステッド競走はオープンクラスに設けられるさらに下位区分のクラスとなります。オープンクラスのレースは、上からGⅠ、GⅡ、GⅢという重賞(グレード競走)とそれ以外のオープン競走がありました。リステッド競走はこのグレード競走とオープン競走の間に設けられたクラスとなるわけです。ここでJRAのホームページの説明を引用させてもらいましょう。
 
概要
競走体系上および生産の指標としてグレード競走に次ぐ重要な競走であることを明示するため、2019年春季競馬から、オープン競走の一部をリステッド競走と格付けいたします。 
リステッド競走とは
パートⅠ国の主要競走は、GⅠ、GⅡ、GⅢのグレード競走とリステッド競走に格付けされており、リステッド競走は、競走体系上グレード競走の次に重要な競走として位置づけられています。 グレードおよびリステッド競走の優勝馬は、セリ名簿においてブラックタイプ(太字)で記載されます。そのためリステッド競走は、グレード競走同様に、生産の指標としても非常に重要な競走として認識されており、その競走一覧は「インターナショナル・カタロギング・スタンダーズ」に掲載されています。


正直説明を読んでもよくわかりませんが、とりあえずグレード競走に次ぐ重要なレースとして位置付けられるレースをリステッド競走とするようです。確かにグレードの付かないレースであっても重賞並みにメンバーが揃うレースはありますし、そういうレースをリステッド競走に格付けるということでしょうか。
 またこれまたややこしいので簡単に触れますが、収得賞金の面でもリステッド競走は通常のオープン競走より上に評価されるようです。収得賞金算定方法はこちらからご覧になれますが、 例えば3歳のオープン競走を勝利すると1000万円の収得賞金が加算されますが、リステッド競走を勝利すればこれは1200万円となります。これがどういう影響を及ぼすかというと、ダービーや菊花賞などへの出走を目指す上で収得賞金のボーダーを考えたとき、オープン競走を勝った馬よりもリステッド競走を勝った馬の方が出走できる可能性が高くなるということです。このようにリステッド競走の重要性を高めているわけです。

 以上説明してきましたが、私自身なんだかよく理解できていないような気がします笑。とりあえず通常のオープン競走より上、重賞競走より下に位置づけられるクラスが作られたと考えていいでしょう。それは収得賞金の例を見るとわかるかと思います。今現在netkeibaやJRA-VANなどをざっと見てみたところまだリステッド競走の表記には対応できてないようです(多分)。こういう媒体が対応を完了して視覚的にリステッド競走というものが認識されるようになってくるとこの変更にも我々が徐々に対応していけるような気がしますね。

フェブラリーステークスについて

 まだ少し先ですが2月17日(日)に東京競馬場でフェブラリーステークス(GⅠ)がおこなわれるということもありまして、フェブラリーステークスの歴史を簡単に調べて、まとめてみようかなと思い立った次第であります。

 フェブラリーステークスの前身である「フェブラリーハンデキャップ」が創設されたのが1984年、JRAが実施するダート重賞としては最も歴史のある競走です。この頃はレース名にもあるようにハンデ競走でした。優勝馬の中にはカリブソングやナリタハヤブサなど当時の競馬を見たことのない私でも知っている名前を見ることができます。コースと距離に関しては東京競馬場工事のため代替開催として中山競馬場ダート1800mで開催された2003年を除き、現在に至るまで東京競馬場ダート1600mで実施されています。
 フェブラリーハンデキャップはGⅢという格付けでしたが1994年にGⅡへと格上げになり、同時に「フェブラリーステークス」と名称が変更されました。このGⅡ時代の勝ち馬にはライブリマウント、そして砂の女王ホクトベガの名前があります。そして1997年にGⅠに昇格すると中央競馬でおこなわれるダートGⅠとして数々のスターホースがこのレースを制しています。1999年にこのレースを制覇したメイセイオペラは、今でも地方所属馬として中央競馬のGⅠを制した唯一の馬という記録を保持しています。2011年の勝ち馬はフェブラリーステークスをステップとしてドバイ遠征を敢行し、ドバイワールドカップでヴィクトワールピサとの日本馬ワンツーフィニッシュを決め、東日本大震災直後の日本に明るいニュースを届けてくれたことは記憶に新しいところです。

 今年のフェブラリーステークスは、残念ながら3歳にして最優秀ダートホースに輝いたルヴァンスレーヴが脚部不安のため回避となってしまったものの、現在のダート界の強豪から新星まで多彩なメンバーが揃っていて楽しみな一戦となりそうです。
 去年の2着で前2走はルヴァンスレーヴ、オメガパフュームの3歳馬2頭の後塵を拝したゴールドドリームは是非とも勝ちたい1戦です。東京大賞典でこのゴールドドリームを下したオメガパフュームはルヴァンスレーヴ不在の今回はクリアしてルヴァンスレーヴへ再度挑戦を目指します。
 ダート界の新星もいます。まずインティは新馬戦で敗れたものの破竹の6連勝、武豊騎手とのコンビでGⅠのタイトルを狙います。コパノキッキングは9戦して7勝2着1回と素晴らしい成績を残しており、ここ2戦は重賞を連勝とGⅠタイトルの資格は十分です。そして何よりも注目を集める理由は、鞍上にJRA唯一の女性騎手である藤田菜七子騎手を迎えるという点にあります。GⅠ初騎乗となり藤田騎手がどのような競馬を展開するのか楽しみです。
 これ以外にも前年覇者ノンコノユメ、東京競馬場で優秀な成績を残すサンライズノヴァ、安定した成績を残しているユラノトなどなど良いメンバーが揃っています。まだ2週間近く先ですが、今からフェブラリーステークス楽しみです。

フランス競馬のスケジュール(2018年)

フランス競馬をもう少し知ろうということでG1の年間スケジュールをまとめてみようかと思います。フランス・ギャロのホームページを参考にして、以下のようになりました。


4月29日Prix Ganay(ガネー賞)[ロンシャン競馬場]
5月13日Poule d'Essai des Pouliches(プール・デッセ・デ・プーリッシュ)[ロンシャン競馬場]
13日Poule d'Essai des Poulains(プール・デッセ・デ・プーラン)[ロンシャン競馬場]
27日Prix Saint-Alary(サンタラリ賞)[ロンシャン競馬場]
27日Prix d'Ispahan(イスパーン賞)[ロンシャン競馬場]
6月3日Prix du Jockey Club(ジョッケ・クルブ賞)[シャンティイ競馬場]
17日Prix de Diane(ディアヌ賞)[シャンティイ競馬場]
7月1日Grand Prix de Saint-Cloud(サンクルー大賞)[サンクルー競馬場]
8日Prix Jean Prat(ジャン・プラ賞)[ドーヴィル競馬場]
14日Grand Prix de Paris(パリ大賞)[ロンシャン競馬場]
29日Prix Rothschild(ロートシルト賞)[ドーヴィル競馬場]
8月5日Prix Maurice de Gheest(モーリス・ド・ゲスト賞)[ドーヴィル競馬場]
12日Prix Jacques le Marois(ジャック・ル・マロワ賞)[ドーヴィル競馬場]
19日Prix Morny(モルニ賞)[ドーヴィル競馬場]
19日Prix Jean Romanet(ジャン・ロマネ賞)[ドーヴィル競馬場]
9月9日Prix du Moulin de Longchamp(ムーラン・ド・ロンシャン賞)[ロンシャン競馬場]
16日Prix Vermeille(ヴェルメイユ賞)[ロンシャン競馬場]
10月6日Prix du Cadran(カドラン賞)[ロンシャン競馬場]
7日Prix Marcel Boussac-Critérium des Pouliches(マルセル・ブサック賞クリテリウム・デ・プーリッシュ)[ロンシャン競馬場]
7日Prix Jean-Luc Lagardère(ジャン=リュック・ラギャルデール賞)[ロンシャン競馬場]
7日Prix de l'Arc de Triomphe(凱旋門賞)[ロンシャン競馬場]
7日Prix de l'Abbaye de Longchamp(アベイ・ド・ロンシャン賞)[ロンシャン競馬場]
7日Prix de la Forêt(フォレ賞)[ロンシャン競馬場]
7日Prix de l'Opera(オペラ賞)[ロンシャン競馬場]
27日Critérium de Saint-Cloud(クリテリウム・ド・サンクルー)[サンクルー競馬場]
28日Critérium International(クリテリウム・アンテルナシオナル)[ロンシャン競馬場]
28日Prix Royal Oak(ロワヤル・オーク賞)[ロンシャン競馬場]

数え間違いをしていなければ、フランスには平地競争のG1が27個あることになります。JRAのG1はこれも数え間違いがなければ24個(JBC競争は除きました)あります。個人的に、フランスにはもっとたくさん有象無象のG1があるイメージでしたので、思ったより少ないなという印象ですかね。それでも知らないG1がたくさんあるので、それぞれ調べてみるのも面白いかもしれません。

フランスの名馬グラディアトゥール

競馬の歴史を紐解いていくと数えきれないほどの名馬とされる馬たちがいます。例えば、先日凱旋門賞連覇を果たしたエネイブルは歴史的名馬でしょうし、日本の競馬界を見ればシンボリルドルフ、ディープインパクトは無敗の三冠馬ということで確実に日本競馬史に名を刻んだ名馬であると言えるでしょう。
フランスの競馬史においても数多の名馬が存在するわけですが、今回はGladiateur(グラディアトゥール、英語風に言えばグラディエーター、映画にもなった剣闘士の意味)を見てみようと思います。この馬は、その強さに加えて特殊な歴史的背景も合わさってフランスにおいて国民的な人気を博すこととなりました。
当時のフランスでは、1851年かの有名なナポレオンの甥にあたるルイ・ナポレオンがクーデタによって政権を握ると、翌年には国民投票によって皇帝に選ばれ、ナポレオン三世としてフランス皇帝に即位しました。この政治体制はナポレオンの第一帝政に対し、ナポレオン三世の第二帝政と呼ばれることになります。現在の君主のいない共和政のフランスを見ていると想像もできないかもしれませんが、19世紀のフランスではまだ政治体制が定まっておらず、共和政やら君主政やら帝政がコロコロと入れ替わっていたわけであります。またこの第二帝政の20年あまり(第二帝政はフランスがプロイセンとの戦争で大敗北を喫し、皇帝ナポレオン三世がプロイセンの捕虜となることで終了します)は、フランス競馬が大きく発展した時代であるとも言われ、そこで大活躍したのがグラディアトゥールというわけです。
グラディアトゥールは1862年、Frédéric Lagrange(フレデリック・ラグランジュ)伯爵の牧場で生まれました。このラグランジュ伯爵はこの時期のフランス競馬界の大人物であり、英仏の数々の大レースを制覇することになります。19世紀ヨーロッパの競馬界はというといまだに競馬発祥の地イギリスが圧倒的優位を保っていたため、各国はイギリスを模倣し、追い越せ追い抜けと努力をしていました。この時代にグラディアトゥールはフランス馬として初めてイギリスのクラシックレースを制覇するばかりか、さらにはイギリス三冠馬となる偉業を達成することとなりました。グラディアトゥールが三冠を達成したのは1865年でしたが、この時期の英仏は政治的に敵対関係にあったため、この偉業は熱狂をもってフランス国民に受け入れられることとなりました。特に馬主のラグランジュ伯爵はナポレオン1世の副将の末裔であったため、フランスの新聞はナポレオン1世が決定的な敗北を喫した「ワーテルローの戦い」をもじり、「ワーテルローの復讐」としてグラディアトゥールのイギリスダービー制覇を報じたといいます。
この英雄グラディアトゥールは、パリのロンシャン競馬場の入り口の真正面に銅像として飾られています。いかにフランス競馬会においてこの馬が特別な存在であるかがうかがえます。銅像のむこうに見えるのがロンシャン競馬場の正門ですね。
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グラディアトゥールは通算成績19戦16勝でした。引退後はイギリスで種牡馬入りし、フランスにおける普仏戦争におけるフランスの敗北を経てラグランジュ伯爵の手から離れました。種牡馬としてはあまりいい成績は残せなかったようですね。

フランスの競馬場(後編)


フランスの競馬場(前編)からの続きであります。まだ前編をご覧いただいていない方は、そちらを先にご覧いただくとわかりやすいかと思います。

それではMaisons-Laffitte(メゾン=ラフィット)から参りましょう。メゾン=ラフィット競馬場は、パリの北西約20㎞にあるメゾン=ラフィットにあります。この町は競馬場があることからCité du Cheval(シテ・デュ・シュヴァル、馬の町)とも呼ばれているようです。citéは都市、町を意味します。英語で言うシティですね。そしてchevalは馬を意味します。日本にもシュヴァルグラン(Cheval Grand、偉大な馬の意)という名馬がいますが、このシュヴァルです。
メゾン=ラフィット競馬場はフランスギャロの6場の中では日本人に最もなじみがない競馬場かもしれません。フランスギャロのページやWikipediaを見てもG1レースはないようです。ただ今年は、武豊騎手騎乗でジェニアルがPrix Messidor(メシドール賞G3)を制したことで名前に印象がある方もいるでしょう。
続いてParisLongchamp(パリ・ロンシャン)競馬場です。ロンシャン競馬場は、言わずと知れた凱旋門賞がおこなわれることでも日本の競馬ファンの皆さんになじみがあるかと思います。2015年から改修工事に入っていましたが、今年リニューアルオープンしました。新しくきれいなスタンドが印象的です。
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凱旋門賞以外にもエルコンドルパサーやエイシンヒカリが制したPrix d'Ispahan(イスパーン賞)や、凱旋門賞の前哨戦として知られるPrix Foy(フォワ賞)、Prix Niel(ニエル賞)などもおこなわれます。フランスギャロのページには、「この地の優雅さ、設計のすばらしさ、規模の大きさにより、この地は競馬におけるエッフェル塔に相当する」と評されています。
最後にSaint-Cloud(サン=クルー)競馬場です。サン=クルー競馬場はパリ近郊に位置する競馬場であり、パリからヴェルサイユへ高速道路で向かうと途中で通った記憶があります。ここは何といってもエルコンドルパサーが1999年にGrand Prix de Saint-Cloud(サン=クルー大賞)を制覇したことで知られています。これ以外の大きなレースとしては2歳G1のCritérium de Saint-Cloud (クリテリウム・ド・サン=クルー)などがあるようです

以上6つの競馬場を簡単に見てきました。今はインターネットの普及もあって日本語でもいろいろな情報を得ることができるので、気になった人は検索して調べてもらうとさらに多くのことを知れるかと思います。

フランスの競馬場(前編)

フランス競馬は競馬統括機関France Galop(フランスギャロ)によって運営されていますが、主に6つの競馬場、Auteuil(オトゥイユ)、Chanthilly(シャンティイ)、Deauville(ドーヴィル)、Maisons-Laffitte(メゾン=ラフィット)、ParisLongchamp(パリ・ロンシャン)、Saint-Cloud(サン=クルー)でレースがおこなわれています。
オトゥイユ競馬場は、パリのPorte d’Auteuil(ポルトドートウィユ、こんな名前の馬もいました)にあり、ロンシャン競馬場にもほど近い障害専門の競馬場です。1873年に作られたこの競馬場は33ヘクタールの広さがあり、フランスにおける障害レースの中心地となっています。春のGrand Steeple-Chase de Paris(パリ大障害)と秋のPrix La Haye Jousselin(ラ・エ・ジュスラン賞)が大きなレースとされているようです。
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シャンティイ競馬場は、ロンシャン競馬場改修中に凱旋門賞が代替開催されていたことで日本では知られていると思います。
www.youtube.com
パリの北40kmほどにあるシャンティイの地はかつての大貴族モンモランシー家の領地であったため、競馬場の近くにはシャンティイ城があり、観光地となっています。私も行きましたがとてもきれいな城で、多くの美術品が展示されています。シャンティイ競馬場における大きなレースとしては、フランスダービーにあたるPrix du Jockey-Club(ジョッケデケルブ賞、1836年より実施)とフランスオークスにあたるPrix de Diane(ディアヌ賞、1843年より実施)があります。特にディアヌ賞はドレスアップした紳士淑女が大集結するため、普段着で行くと浮くこと間違いなしです。
ドーヴィル競馬場は、フランス北西部のノルマンディー、カルヴァドス県(カルヴァドスというリンゴ酒で有名な地域)のドーヴィルにあります。この競馬場では、フランスのマイル路線の最高峰レースの一つPrix Jacques le Marois(ジャック・ル・マロワ賞)がおこなわれます。1998年にタイキシャトルが制覇したことで日本でも知られていると思います。この前週には同競馬場でシーキングザパールがモーリス・デ・ゲスト賞を制して、日本馬として海外G1初制覇を成し遂げており、日本競馬史上に残る競馬場と言えます。

とりあえず3つの競馬場について書きましたが、疲れたので残りの3つについてはまた次のブログで書きますねー。

サラブレッドの三大始祖

今回はサラブレッドの三大始祖に関して、自分自身の勉強も兼ねて情報をまとめてみようかと思います。
現在の全てのサラブレッド(英語でThoroughbred、フランス語でPur-sang、thorough[徹底的な]+bred[品種改良されたもの]という意味。JRAによる説明はこちら)とされる馬たちは、その父系(サイアーライン)を遡ると必ず3頭の種牡馬(バイアリーターク、ダーレーアラビアン、ゴドルフィンアラビアン)に行き着くことになります。この3頭のことを「三大始祖」と呼んだりするわけです。もちろんこれ以外にも父系は数多く存在したわけですが、現在ではこの3つ以外は断絶しています。
1688年、イギリスのロバート・バイアリー大尉はハンガリーに侵攻し、当時ヨーロッパの脅威となっていたオスマン・トルコに義勇兵を率いて参戦しました。彼はここで1頭のターク馬(つまりトルコ馬)を捕獲します。大尉はスピードに溢れたこの馬で戦場を駆け巡ったが、戦乱が終結すると故郷へ帰り、この優れたターク馬を種牡馬としました。この馬がバイアリータークと呼ばれることになります。バイアリータークの血はヘロド(1758-1780)の成功により広まることになります。
ダーレーアラビアンは18世紀初頭に「最高の評価を得た」アラブ馬としてイギリスに輸入、ダーレー一族の牧場で養われ、種牡馬として供用されました。ダーレーアラビアンの血は、歴史的名馬エクリプス(1764-1789)の成功によって広まることとなります。このエクリプスは、アメリカの年度代表馬に与えられるエクリプス賞、イギリスのエクリプスステークスなどに名を残しています。
最後にゴドルフィンアラビアンです。1728年に生まれたイエメンの純血アラブ系の馬で、当初はシャムと呼ばれていたそうです。やがてフランス王ルイ15世に贈られ、1733年に最終的にイギリスのゴドルフィン伯爵の手に渡ることとなりました。ゴドルフィンアラビアンの血脈は18世紀の大種牡馬マッチェム(1748-1781)の活躍よって今日に伝えられています。

このように三大始祖の血脈は今日まで続いているわけです。今回は本村凌二先生の『競馬の世界史ーサラブレッド誕生から21世紀の凱旋門賞まで』を参考にさせていただきました。面白い本なのでぜひ読んでみてください。ちなみに本村先生は東京大学で教授をされていた古代ローマ史研究者で競馬好きとしても知られている方です。

フランス競馬の馬場用語

日本の競馬では、馬場状態に関してJRAが良、稍重、重、不良と4つに分類して発表していますが、フランス競馬ではどうなっているのでしょうか。気になったので少し調べてみました。
JRAのホームページにある情報では、「フランスでは芝コースの馬場状態は、馬場硬度を測定するペネトロメーターの計測値に応じて、「TRES LEGER」、「LEGER」、「BON LEGER」、「BON」、「BON SOUPLE」、「SOUPLE」 、「TRES SOUPLE」、「COLLANT」、「LOURD」、「TRES LOURD」 に区分されます。」と書かれていました。つまりフランス競馬において馬場は10に分類されるようです。
フランス競馬のルール:フランス競馬 各国の競馬 海外競馬発売 JRA
もう少し詳しく調べてみると、フランス場外馬券発売公社(Pari Mutuel Urbain, PMUと略されます。フランスはすぐにこういうものを略したがります笑)のページを見つけました。
https://hippique.blog-pmu.fr/2015/10/07/comment-est-determine-letat-du-terrain/
硬度計数値 分類 JRAによる分類
2,2まで   Très léger
2,3 – 2,7  Léger
2,8 – 2,9  Bon léger
3 – 3,2  Bon
3,3 – 3,4  Bon souple 稍重
3,5 – 3,7  Souple
3,8 – 4,1  Très souple
4,2 – 4,5  Collant
4,6 – 5  Lourd 不良
5,1以上 Très Lourd
硬度計?もしくは針入度計?(pénétromètre)というものがちゃんと理解できてないですが、その数値によって細かく分けられているようです。そしてJRAはそれを上の表のように対応させているということです。

フランス語を簡単に見ていくとtrèsは英語で言うvery(とても)に当たる言葉で、トレビア~ンなんで言うときのトレです。légerは軽いっていう意味の形容詞。bonはセボ~ン(C'est bon !)なんて言うときのボンで英語で言うgood。soupleは柔らかい、collantはべとつく、lourdは重いという意味になります。国と言葉が違えば馬場の表現の仕方も変わるんですね。面白い。

ニートの割安優良株発見術

興味がある方がいるかどうかという問題はあるのですが、私の銘柄選びの方法を簡単にまとめてみますので、一つの参考になれば幸いです。具体的な方法論に入る前に、私の投資スタンスを一言で説明しておきますと、第一に資産を減らさず、第二に資産を増やすというものです。こうしたことを言っている人は...